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リーン生産方式と改善に関する工場長への回答
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状況
2016年夏、チェコの精密機械製造工場を見学した際、工場長から「リーン生産方式と改善は同じか」と質問された。
行動
当時は両者を別物と理解していたため、明確に答えられず窮した。
関連ルール: E-1: 明
結果
欧米の「KAIZEN(コストダウン手法)」と日本古来の「改善(理想製品を目指す挑戦)」の違いを再定義し、本稿の執筆に至った。
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【分析:状況】
2016年夏、チェコの精密機械製造工場を見学した際、工場長から「リーン生産方式と改善は同じか」と質問された。
【分析:行動】
当時は両者を別物と理解していたため、明確に答えられず窮した。
【分析:結果】
欧米の「KAIZEN(コストダウン手法)」と日本古来の「改善(理想製品を目指す挑戦)」の違いを再定義し、本稿の執筆に至った。
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【本文】
整理、整頓、清掃と改善の起源といざ鎌倉
The origins of the Sort, Tidy, Cleaning, Kaizen and Kamakura
持田 信治*
Shinji Mochida
「整理、整頓、清掃」は「改善」と共に日本の製造業の基本姿勢である。しかし、最近の製造業の「5S」と「改善」は単なるコストダウンの手法として理解されている。そこで、本書は「整理、整頓、清掃、改善」の起源が「いざ鎌倉と職人気質」にあることを述べた後、古来の「整理、整頓、清掃、改善」と近年の「5Sと改善」とを比較する。そして、「いざ鎌倉と職人気質」から今後のイノベーション推進のヒントを得たので報告する。
キーワード:5S、改善、リーン生産システム、イノベーション
Ⅰ.はじめに
概要
 筆者は2016年の夏にチェコのビンペルクにある精密機械製造工場を見学する機会があり、見学の最後に工場長から「リーン生産方式と改善は同じか」との質問を受けた。筆者は当時、「リーン生産方式」と「改善」は別ものであると理解しており、答えに窮した。「リーン生産方法」は代表的な生産方法の一つで、仕様を満たす範囲でコストダウンを計り利益を得る生産方法である。製造方法には漢字の「物つくり」とひらがなの「ものつくり」があり、漢字の「物つくり」は仕様が決まった「有体物」を作る方法であり、仕様を満たす範囲で安く作ることが求められる。欧米での生産方法の基本的な考え方は「リーン生産方法」に代表される「物つくり」である。「リーン生産方法」は仕様を満たす範囲で安く作る仕様第一主義である。欧米では「リーン生産方法」と「KAIZEN」は同じであり、「KAIZEN」はコストダウンの手法として理解されている。一方、ひらがなの「ものつくり」は辞書には「物」以外のものを作ることとある1)。「ものつくり」は仕様が決まっていない理想製品を作る、挑戦的な「ものつくり」である。「ものつくり」は理想製品作りを目指す終わりのない挑戦的な創作活動であり、最高の「改善」とアイデアが必要である。従って、日本古来の「改善」や「ものつくり」は、仕様第一主義の欧米の「物つくり」とは対局に位置する。「物つくり」は安い部品で、なるべく簡単に組み立てられる安い製造方法を目指している。日本古来の「改善」は職人言葉「細工は流々仕上げを御覧じろ」に代表される行動様式であり、アイデアを生かすためには、アイデアが浮かべば直ぐに試行錯誤を行うことが必要であり、直ぐに作業に取りかかるためには「整理、整頓、清掃」による整えられた作業環境と常に作業に取りかかれる姿勢が必要である。常に作業に取りかかれる姿勢は「いざ鎌倉」である。「いざ鎌倉」は謡曲「鉢の木」に出てくる言葉で室町時代から戦国時代を経て現代まで伝わっている言葉である。「整理、整頓、清掃」と「改善」は戦国時代から平和な江戸時代に入ると職人の精神となった。そこで、本書は「整理、整頓、清掃」と「いざ鎌倉」の起源を探りつつ、欧米に広がる有体物を作る「KAIZEN」と日本の理想目標を目指す「改善」の違いを述べる。そして、今後のイノベーション推進に向けた「整理、整頓、清掃」と「改善」に沿ったアプローチ方法を考察する。「整理、整頓、清掃」の略称は「3S」であり、「整理、整頓、清掃、清潔、躾」の略称は「5S」である。一般的には「5S」は「3S」を拡張したものと理解されている。しかし本書では日本古来の何時でも行動を起こす準備をしておく姿勢を「改善」と「整理、整頓、清掃」として記述する。一方、欧米の製造業に於ける効率化を目指す姿勢を「KAIZEN」と「5S」と記述する。
Ⅱ.整理、整頓、清掃と武士道そして改善へ
1.武士道と整理、整頓、清掃
筆者の記憶では小学校の教室の正面に「整理、整頓、清掃」と書かれた額があり、先生から「整理、整頓、清掃」とは何時でも勉強が出来る様に環境を整えておくことだとの説明があった。つまり「整理、整頓、清掃」とは自分の作業道具を常に「整理、整頓」しておき、「清掃」によりワークスペースを確保しておき、何時でも勉強が出来るようにしておくとのことであった。何時でも作業に取りかかれる様に準備をしておく「整理、整頓、清掃」の考えは「いざ、鎌倉」の精神に始まる。「整理、整頓、清掃」は夜いつでもアイデアが浮かべば、ただちに作業に取りかかるという精神で、日本の創意・工夫とアイデアを重視する考えの基礎となっている。また、「源義経の鵯越の逆落し」に由来する「夜討ち、朝駆け」もビジネス好機を逃さない精神であり「いざ、鎌倉」と共に日本のビジネス精神の基礎をなしている。「整理、整頓、清掃」の精神は侍が各自の得物を常に手入れと鍛錬を怠らず「いざ」に備える姿勢で、安土桃山時代から戦国時代、江戸を経て、武士から職人の精神に反映されて、現在に至っている。常に「いざ」に備える姿勢が「いざ鎌倉」であり、「いざ鎌倉」は鎌倉時代の謡曲「鉢木」に出てくる言葉である。大正時代の尋常小學國語讀本にも「鉢木」は登場しており2)、明治から大正時代にかけても常に「いざ」に備えることの必要性は語られていたことが解る。いつでも一大事への準備ができていることは近代の「出船の精神」にも受け継がれている。武士は奈良時代の743年(天平15年)に「墾田永年私財法」が制定されたことにより始まった。私有地が認められたことにより、有力な荘園主や貴族は荘園を守るために武装集団が必要となり、荘園を守るための専門武装集団が発生した。そして、「貴人の傍らにさぶらふ人」から、「侍」つまり「武士」ができた3)。平安時代に入り、源氏や平家の武将と武士団が出来た。更に鎌倉時代に至って、武家政権が誕生することとなり、鎌倉幕府は禅宗に傾倒して、武道、礼儀を重んじる「武士道」が確立された。武士道の中心的精神は以下の3点である。まず、いつでも一大事への準備ができていること。次ぎに自分を改善するために鍛錬を欠かさないこと。そしてコンディションをきちんと保つ「摂生」「 節制」「 礼節」を守ることである。そして、「武士道」では常に一大事に備える準備と得物の手入れが求められた。例えば、得物の手入れについては北条重時(1198-1261)が作成した『六波羅殿御家訓』に「腰刀の錆びたる持つべからず、~不断に心用心あるべしとある」4)。得物の手入れと鍛錬を怠らず、一大事に備えることは武士道の中心的精神であった。武士が武道を重んじて、武器の手入れと鍛錬に余念がなかった理由として、武士は戦闘集団であったことと、武士には警備の役目があったことがある。具体的には、貞永元年(1232年)に北条泰時が「御成敗式目」(ごせいばいしきもく)を制定して武家の基本法典が定まり、守護の職務が「大犯三箇条」(だいぼんさんかじょう)として定められたことによる。大犯三箇条では、守護の職務は、まず鎌倉・京都での大番役(おおばんやく:警固のこと)の招集と指揮監督を行うこと、そして謀反人の捜索と逮捕、殺害人の捜索することであった。つまり守護の職務には警備の役割があり、日頃の鍛錬と武器の手入れが必要であった。また、天文年間(1532年から1555年)に吾川郡弘岡城主であった吉良宣経(1514-1550頃)の定目(ていもく)にも武士のたしなみとして武具を整備し、武芸の修練に心がけて軍役に精励することと記載されている4)。そして、守護大名が戦国大名に代わるにつれ、武士道に於ける武勇の必要性が高まって行った。武勇の高まりに合わせて、日頃の得物の手入れと鍛錬を怠らず、常にいざに備える「整理、整頓、清掃」の武士道の姿勢が確立された。
2. 「ものつくり」と「物つくり」に於ける利益の考え方
武士道は自分を高め、精進することが基本であり、「整理、整頓、清掃」は武士道に由来している。時代が平和な江戸時代になり、自分を高め、精進する「整理、整頓、清掃」の精神は職人に広がって行った。職人の利益は各自の技術とアイデアに基づいていた。例えば、一般的な製品の価格は製品に要求される基本機能(図1のG)に顧客からの高度な要求(図1のH)を加えた製品の妥当な仕様(図1のD)に応じて設定される。そこで、製造者はコストダウン手法、例えばLean production system手法等を使用して得た製品コスト(図1のE)と製品の妥当な価格(図1のG)との差を得て利益(図1のH)を確保する。つまり、妥当な製品仕様(図1のD)を維持する範囲で製作時間(図1のJ)が進むに沿ってコストダウンを図ることが「KAIZEN」であり、「KAIZEN」はより安く製品を作る方法を追求する。具体的には「KAIZEN」は作業の単純化と作業の一律化を進め、製作マニュアルを作成して、人件費の安い作業者を使用できるようにしたり、製品をより簡単な作りにしたりして、コストダウンを追求する。一方、古来の職人は顧客の視界にある製品は顧客が価格を決めてしまうので、類似品との価格競争となり、利益が得にくいこと、そして自分の持つ技術を発揮し難いことを知っており、より自分の技術が生かせる創造的な仕事を目指した。例えば、職人言葉にある「簡単な仕事はしない」が職人の利益に対する考え方を物語っている。また「細工は流々、仕上げをご覧じろ」は、作品の製作技術は職人別であり、仕上げで勝負することを示している。職人は製品ではなく、職人は自らの技術とアイデアを用いて、顧客の視界を超えた作品を製作して、顧客の所有欲を満足させることにより高い利益を得ていた(図1のF)。図2にM・ロジャースのイノベータ理論を示す。図2は顧客全体を100%として、客層別の割合を模式的に示している。職人は、図2に示すイノベータを相手にすると利益が得られることを知っていた。画期的な製品、つまりイノベーティブな製品はまず、新しい物好きなイノベータが購入する。イノベータは価格を気にしないので、売り手は自由に価格設定ができ、利益を得る。いわゆる先駆者利益である。そして製品が成熟して一般化すると客層は最終的には図2の4層目にあるレイトマジョリティに変化する。レイトマジョリティは高度な機能には感心がなく、基本機能がありさえすれば、より安いものを購入する。
図1 職人の利益の考え方
図2 エベレト・M・ロジャースのイノベータ理論 (理論に基づき筆者作成)
3.「整理、整頓、清掃」と「改善」の広がり
日本古来の「整理、整頓、清掃」と「改善」は理想目標を目指す。例えば、「整理、整頓、清掃」の「整」は古典に「整は正なり」とあり、ゆがんだ形を真っ直ぐにすることが「整」であり「正」である。更に「整」は真っ直ぐにする、不純物を取り除くという語源から5)、「整理」は乱れたものを整える、または不必要なものを取り除くとの意味である6)。一方、「改」の語源は誤りを改めて正しくすることであり、「改善」は「改良」などと同様にreformやimproveの訳語として明治時代に作られた和製漢語である3)。つまり、「整理、整頓、清掃」や「改善」はよい方向へ改めることであり、終わりのない活動である1)。ただし、「改善」は先に述べた様に明治時代に作られた言葉であるため、武士道では精進などと呼ばれたと思われる。精進は大乗仏教の六波羅蜜修行の4番目の修行であり、悟りを目指す終わりのない活動である3)。一方、海外で使われている「5S」と「KAIZEN」は利益創出のためのコスト最適化手法であり、バリュー(金銭的価値)を高めることを求めており、明確に目標利益の創出を目指す活動である。筆者は図3に示すチェコの計測機械メーカの工場を見学する機会があり、工場長の話から海外では「改善」はコスト最適化手法として知られていることが理解できた。また、チェコのプラハ経済大学(Prague University of Economics and Business)にて5Sゲームという講義を見学した(図4参照)。講義では「改善」と「無駄」どちらも生産性向上の手法として説明されており、目標は明確であった。具体的には5Sゲームではレゴの飛行機模型を教材にして、数人でチームを組み効果的な組み立て方法を考え、どのチームがある制限時間内に多く組み立てるかを競う講義であった。
図3 チェコのビンペルクにあるローデ・シュワルツの工場(筆者撮影)
図45Sゲーム講義の様子 その1(筆者撮影)   5Sゲーム講義の様子 その2(筆者撮影)
海外では「5S」も広く知られており、「5S」の最後の2つの「S」は「躾」と「清潔」である。筆者がHACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)に係わる食品関係の業務に従事している時には、「躾」とは作業着、エプロン、マスク、帽子を付けてほこりを落としてから食品工場に入ることであり、白線を踏まないなどの職場のルールを守る習慣を身に付けることが「躾」であった。そして、食品工場の「清潔」とは手を石けんで洗い、更にアルコールで消毒を行う、いわゆる化学的な清掃であった。「清潔」を改善活動の本で調べると「5S」を維持することとある。また、「清掃」と「清潔」の英語訳は同じ「Cleaning」であり区別がない。日本の「整理、整頓、清掃」はいつでも作業に取りかかるための心構えであるのに対して、海外で広がる「5S」は製造現場のルールとなっている。心構えは個人の行動指針であるのに対して、ルールは業務の規則である。例えば、チェコのある工場で「5S」を実践するとのことで、始業前に出社して作業準備するよう要請した所、作業準備は業務の一部であり、対価が支払らわれない作業はできないと作業者に断られたそうである。理想を求める「改善」と「整理、整頓、清掃」の自主的心構えは、明確な額の利益を追求する「KAIZEN」と対価が必要な「5S」とは全く別である。
4.整理、整頓、清掃」といざ鎌倉
「整理、整頓、清掃」とはいつでもアイデアが浮かべば、ただちに作業に取りかかる心構えであり、「いざ鎌倉」の精神に由来する。「いざ鎌倉」は室町時代に成立した謡曲「鉢木」に出てくる言葉で、鎌倉に何かあればすぐに鎌倉に駆け付けるというものである。当時、すべての武士が鎌倉に住んでいたわけではないため、常に鎌倉での争いへの準備が必要であったことが「いざ鎌倉」であった。ただ、鎌倉に駆けつけるのは恩賞、つまり利益を得るためであり、「いざ鎌倉」は利益のためであった。謡曲「鉢木」の主人公の佐野源左衛門常世が、宿を貸した旅僧(諸国行脚中の執権北条時頼(最明寺入道))に対して語った言葉に「今にても鎌倉に一大事あらば、千切れたりとも具足を着け、錆びたりとも長刀を持ち、痩せたりとも馬に乗り、一番に馳せ参じ、合戦始らば一番に敵と討合ひて死なん覚悟なれど」がある。この有名な言葉は当時の御家人は、鎌倉で何か騒動が起こったときには、すぐに鎌倉にはせ参じる体勢であったことを現している6)7)8)。「いざ鎌倉」の言葉が登場する「鉢木」は室町時代の観阿弥(1334~1384)作又は世阿弥の作と言われており、2度の元寇の後の作品である。元軍侵攻の頃、武士は一大事に備えて、得物の手入れと鍛錬に余念の無い状況であった。当時、鎌倉幕府は刀鍛冶を鎌倉に集める等、日本刀の製造を支援した。そして、太刀と槍は2度の元寇の後、めざましい性能向上があり、名刀「正宗」が登場するのもこの時代である。
5.「鉢木」成立の時代背景
「鉢木」からわかるのは、まず鎌倉では騒動が頻発したことと、次ぎに鎌倉に一大事ありと聞けば、諸国の御家人は先を争って馳せ参じ、幕府の着到状(出席簿)に姓名を記録して恩賞を期待していたことである。このようなことは鎌倉時代特有のことで、他の時代にはあまりみられないため、一大事に備える言葉として、「いざ鎌倉」という言葉は現在まで残ったとも考えられる。一大事ありと聞いて、御家人たちが鎌倉に駆けつけたという記述は、鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』4)に散見される。例えば吾妻鏡の元久2年(1205)にある「畠山重忠、討たれるの」項には「軍勢が由比ヶ浜の辺りを先を争って走った」とあり、先駆けの様子が表現されている。しかし、争いが最も多いのは、源頼朝の時代ではなく、鎌倉中期の北条時頼(1227-1263)の時代であった。北条時頼は摂家将軍を追放した上、三浦氏を滅ぼし、北条氏専制政治への道を開いた。「時頼」の時代は、いつ何が起こるかわからない不安定な社会状況であった。謡曲「鉢の木」には北条時頼が登場することから「いざ鎌倉」は、当時の不安定な史実を反映している。「鎌倉幕府の歴史を記載した「吾妻鏡」には、源頼朝が挙兵した治承4年(1180)から六代将軍宗尊親王が鎌倉から京都に送還された文永3年(1266)までの歴史を記載している。一方、「鉢木」は観阿弥(1334~1384)の作と言われており、「鉢の木」は「吾妻鏡」の後の作であるため、鎌倉武士の精神の全体像を反映していると言える。また、北条幕府に起きた2度に渡る元寇の役も、常に戦闘に備える精神である「いざ鎌倉」が維持された理由と考えられる。2度に渡る元寇とは文永の役(1274)と弘安の役(1281)であり、当時、北条時宗(1251-1284)は2度の元の軍を退けた。元寇の役に於ける勝利は北条武士の大きな働きと神風によるものとされている4) 。福岡市の東公園には元寇を退けたとされる日蓮聖人の像(図5参照)があり、日蓮聖人の神風は現在まで語り継がれている。日蓮聖人は「立正安国論(1260)」を北条時頼(1227-1263)に宛てに送り、外的の襲来を警告したとされており、「立正安国論」も当時が不安定な情勢であったことを示している。2度の元寇は日本の武士の装備にも変化をもたらした。元軍の鎧は真綿を何層も重ねた構造であり、当時の軟鉄で作られた武士の太刀では切ることが出来なかった。そこで、鎌倉幕府は各地から刀匠を集めて太刀作りを奨励した。そして刀匠、五郎入道正宗がついに日本刀の製造方法を完成させた。日本刀の製造方法は軟鉄の鉄に鋼鉄を巻いて、鍛えた後、焼き入れをする工程を繰り返す方法であり、良く切れるが、折れない日本刀が完成した。名刀正宗の完成である(元寇記念館資料より)。鎌倉幕府後の武士にも一大事に備える心意気があったことは土佐の「一領具足」にも見られる。「一領具足」は半農の武士であり、長宗我部元親(1539-1599)が安芸国虎攻めにあたり、兵力増強のために思いついた武士の身分である。「一領具足」は耕作時に槍の柄に草鞋(わらじ)と兵糧をくくりつけて田の畦(あぜ)に立てておき、有事の時には武装して直ぐさま、駆け付けるという生活であり、土佐物語には「一領具足と申すは、僅かの田地を領して、常には守護へ動仕(きんし)もなく役もなく、己が領地に引き籠り、自らたがやし、くさぎり、諸士の交はりもせされば、礼儀もなく作法もなく、明け暮れ武勇のみを事として、田に出づるにも、鎗の柄に草桂・兵糧を括り付け、田の畔に立て置き、すはと言へば鎌鍬を投げ捨て走り行く。鎧一領にて着替への領もなく、馬一疋にて乗り替へもなく、自身走り廻りければ一領具足と名付けたり。弓・鉄胞・太刀打ちに調練して、死生知らずの野武士なり」とある9)。「一領具足」は有事の際には戦場に馳せ向い、弓、鉄砲、大刀打に鍛錬をして、勇猛かつ命知らずの野武士であった。「いざ鎌倉」の「いざ」と「一領具足」の「すは」は一大事に備える鎌倉幕府から戦国時代の武士の共通の心意気であった。
6.鎌倉幕府の「いざ鎌倉」はどこに
鎌倉幕府に始まる武家政治は、源頼朝が1192年(建久3年)に朝廷から「征夷大将軍」に任命され、鎌倉幕府を開いたことから始まる(*所説あり)。源頼朝は治承4年(1180年)、伊豆で反平氏の軍を挙げた頼朝を討つため京からやってきた平家軍を富士川の戦いで破った。そして源頼朝は図6にある鎌倉の大蔵(雪ノ下)の屋敷に入り、鎌倉が武家政権の政治の中心地となった。更に源頼朝は図7に示す元八幡を現在の鶴岡八幡宮の地に移して町づくりの中心とした。最初の幕府は大倉幕府(1180-1225)であり、次に幕府は宇都宮辻子幕府(1225-1236)となり、更に幕府は若宮大路幕府(1236-1333)へと変わった。また頼朝は図8の永福寺(ようふくじ)を建立して、合戦で亡くなった将兵の鎮魂のために建立した。鎌倉幕府では禅宗が奨励され、「武士道」の精進の精神が成立した。そして、「武士道」は「鉢木」に描かれている様に常に得物を手入れと鍛錬を怠らず、一大事に備えることが基本姿勢となった。  
図6幕府跡(左から大倉幕府、宇都宮辻子幕府、若宮大路幕府)(筆者撮影)
図7元八幡 (筆者撮影)         図8永福寺跡 (筆者撮影)
7.職人気質
「整理、整頓、清掃」はアイデアが浮かんだ時に直ぐに作業に取りかかる精神であり、「改善」と共に、唯一の作品を求める日本古来の職人の精神である。一方、イノベーティブな商品も顧客の視界にない、唯一の製品である。21世紀最大のイノベーティブな製品の一つにスマートフォンがある。現在のスマートフォンの原型は2007年にスティーブ・ジョブズ氏が発表したiPhoneである。iPhoneはタッチパネルとグラフィカルインターフェースを備えていた。初期のスマートフォンは図9に示す様に下や横に小さなキーボードを備えた物で、使い勝手は良くなかった。また当時の多くの携帯電話は折りたたみ型の電話であり、iPhoneは多くのユーザにとって見たことのない電話であった。しかし、iPhoneのグラフィカルインターフェースは1984年にAppleが発表したマッキントッシュで採用されており、更にマッキントッシュはパーソナルコンピュータでは初めて、ポインティングデバイスとしてマウスを採用していた。そして、スティーブ・ジョブズ氏はグラフィカルインターフェース技術を電話に転用することによりiPhoneを完成させた。iPhone発表時にスティーブ・ジョブズ氏は「電話を再発明した」と語った様に当時の電話のイメージは一変してスマートフォンとなった。イノベーティブな製品とはiPhoneの様に各自の固有技術と他の何かを組み合わせることにより生まれる。従ってイノベーティブな製品開発には各自の固有技術を基礎にして、理想目標を実現することが求められる。例えば、続江戸職人綺譚10)に登場する江戸時代の職人の道具自慢話では、「腕のいい大工が道具に凝って稼ぎのほとんどを道具につぎこみ年がら年中素寒貧で・・」や、「荒仕工鉋(かんな)・・こちとら大工の肝玉をふるい立たせてくれなくちゃいけね」にある通り、職人は理想の作品を製作するために、己の技能の修練と技術を発揮するための道具の手入れに余念がなかった。また職人は、「自分の仕事に自分で値段をつけて、それが売れるようになりまして」11)とある通り、稼げる製品には技術とアイデアが必要であり、お客が求めるものだけを作っていたのでは稼げないことを知っていた。つまり、古来の職人はイノベーティブな製品を目指していた。イノベーションやイノベーティブな製品の創造には古来の職人気質と「整理、整頓、清掃」と「いざ鎌倉」の精神が必要である。
図9 キー付スマートフォン (筆者撮影)
8.製品の魅力の変化とイノベーション
ドラッカー氏やシュンペーター氏によるイノベーションの定義では、画期的な製品やサービスの導入により経済に新たな好況局面を創り出すこととある。つまり、イノベーションとは必ずしも製品を生み出すことではなく、販売方法やサービスも含まれる。しかしイノベーティブな製品に限ると、イノベーティブな製品の定義は次の2つである。一つは開発者が価格を設定できること、そして2つめは顧客の視界に無い製品であり、顧客は自分の財布からお金をやりくりしても捻出するほど、魅力ある製品であること。例えば顧客が食費を節約してでも欲しくなるくらい魅力ある製品がイノベーティブな製品である。本カテゴリに入る例は、初期のiPhoneである。しかし、製品は次第に一般化して、差別化することが難しくなる。製品の差別化が難しくなると価格競争になり、利益を得づらくなっていく。つまり製品の一般化(コモディティ化)が進む。一方、製品の成熟度が進むに従い、客層も変化する。図2のレイトマジョリティが製品を購入する状況になると、製品の差別化は難しく、価格競争となる。するとメーカは大量生産による薄利多売となり、大規模な生産設備の投資が必要となる。しかし、設備投資の時期を見誤ると経営的な大打撃を受ける。例えば液晶ディスプレイが成熟段階の製品であり、画面が精細度であったり、高品質なスピーカを搭載したりしていても、レイトマジョリティには製品の魅力が届かず、差別化にはならない。最近では、車が成熟段階に入っている。ビジネスとは、物やサービスの流れと対価がループを形成することである。対価は金額で評価されバリューとも呼ばれる。しかし、バリューは物の機能や性能だけで決まるものではなく、感覚的な要素にも左右される。バリューを左右する要因として、例えば、ネームバリューや希少性やコラボレーションがある。製品のバリューには顧客の主観が大きく影響する。筆者が商品に対する価値観の調査から、顧客の主観とは客の評価軸のことで製品が持つ評価軸が多いほど、バリューは高まることが解った11)。例えば、図10に元の製品と野球チーム名を冠したコラボ製品と他社の製品のバリューを示す。野球チーム名を冠したコラボ製品は価格が上がる分、価格の評価は下がる。しかしコラボ製品は満足性や楽しさ・記念度が上がるため、価値の大きさを示すグラフの大きさは元の製品を上回り、結果的に販売増が期待できる。最近の製造業で主流となっているリーン生産方式は無駄を省いてコストダウンを図る。また製造業で採用されているシックスシグマは作業を平準化して、むりとむらのないマニュアル主義による製造を実現して、コストダウンと歩留まりの向上を図る。リーン生産方式では仕様に対するオーバースペックも無駄となる。しかし、オーバースペックはイノベータに対する製品の魅力の1つであり、イノベーティブな製品に必要なものである。仕様第一主義、コスト第一主義ではイノベーティブな製品は生まれない。理由は仕様第一主義、コスト第一主義では顧客の主観に響かないからである。顧客の主観を刺激するイノベーティブな製品は理想目標を掲げることによりイメージが浮かぶ、そして、アイデアが浮かんだ時に直ぐに試作に取りかかるためには「整理、整頓、清掃」が必要である。イノベーティブな製品を生みだす姿勢を表現したものが日本の「整理、整頓、清掃」と「改善」である。
図10 製品の評価軸と評価の様子 (筆者作成)
謝辞
本書の作成あたり、助言と貴重な情報を頂いた鎌倉市鎌倉歴史文化交流館殿とオーテピア高知図書館の横山 有弐氏に感謝申し上げる。
引用文献
1) 岩波国語辞典、岩波書店、2019
2)尋常小學國語讀本1918(大正7年)卷1,文部省、国立国会図書館デジタルコレクション
3) 小松寿雄,新明解語源辞典,三省堂,2011
4) 西田友広,吾妻鏡,角川文庫,2021
5) 加納喜光,漢字語源語義辞典,1940
6) 平泉澄,明治の源流,時事通信社、国立国会図書館 デジタルコレクション,1970
7) 鉢木,国立国会図書館デジタルコレクション
8) 森延哉,駒とめて袖うちはらう-謡曲「鉢木」考,(株)文芸社,2010
9) 山本大(やまもと たけし),長宗我部元親 その謎と生涯,新人物往来社,2010
10) 佐江衆,続江戸職人綺譚,新潮文庫,2003
11) 永六輔,職人,岩波書店,1996
12) 持田信治,心理的価値評価によるパッケージデザイン,第67回 日本経営システム学会 全国研究発表大会予稿集,pp148-149,2021
チェコでの「5Sゲーム」講義見学
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状況
チェコのプラハ経済大学にて、レゴの飛行機模型を用いた「5Sゲーム」の講義を見学した。
行動
制限時間内にどれだけ多く組み立てられるかを競う生産性向上の手法として、明確な目標設定がなされている様子を観察した。
関連ルール: A-34: 生産 E-1: 明
結果
海外における「5S」や「KAIZEN」が、対価を伴う業務規則やコスト最適化手法として定着していることを確認した。
詳細 (BODY) を表示
詳細コンテキスト
【分析:状況】
チェコのプラハ経済大学にて、レゴの飛行機模型を用いた「5Sゲーム」の講義を見学した。
【分析:行動】
制限時間内にどれだけ多く組み立てられるかを競う生産性向上の手法として、明確な目標設定がなされている様子を観察した。
【分析:結果】
海外における「5S」や「KAIZEN」が、対価を伴う業務規則やコスト最適化手法として定着していることを確認した。
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【本文】
整理、整頓、清掃と改善の起源といざ鎌倉
The origins of the Sort, Tidy, Cleaning, Kaizen and Kamakura
持田 信治*
Shinji Mochida
「整理、整頓、清掃」は「改善」と共に日本の製造業の基本姿勢である。しかし、最近の製造業の「5S」と「改善」は単なるコストダウンの手法として理解されている。そこで、本書は「整理、整頓、清掃、改善」の起源が「いざ鎌倉と職人気質」にあることを述べた後、古来の「整理、整頓、清掃、改善」と近年の「5Sと改善」とを比較する。そして、「いざ鎌倉と職人気質」から今後のイノベーション推進のヒントを得たので報告する。
キーワード:5S、改善、リーン生産システム、イノベーション
Ⅰ.はじめに
概要
 筆者は2016年の夏にチェコのビンペルクにある精密機械製造工場を見学する機会があり、見学の最後に工場長から「リーン生産方式と改善は同じか」との質問を受けた。筆者は当時、「リーン生産方式」と「改善」は別ものであると理解しており、答えに窮した。「リーン生産方法」は代表的な生産方法の一つで、仕様を満たす範囲でコストダウンを計り利益を得る生産方法である。製造方法には漢字の「物つくり」とひらがなの「ものつくり」があり、漢字の「物つくり」は仕様が決まった「有体物」を作る方法であり、仕様を満たす範囲で安く作ることが求められる。欧米での生産方法の基本的な考え方は「リーン生産方法」に代表される「物つくり」である。「リーン生産方法」は仕様を満たす範囲で安く作る仕様第一主義である。欧米では「リーン生産方法」と「KAIZEN」は同じであり、「KAIZEN」はコストダウンの手法として理解されている。一方、ひらがなの「ものつくり」は辞書には「物」以外のものを作ることとある1)。「ものつくり」は仕様が決まっていない理想製品を作る、挑戦的な「ものつくり」である。「ものつくり」は理想製品作りを目指す終わりのない挑戦的な創作活動であり、最高の「改善」とアイデアが必要である。従って、日本古来の「改善」や「ものつくり」は、仕様第一主義の欧米の「物つくり」とは対局に位置する。「物つくり」は安い部品で、なるべく簡単に組み立てられる安い製造方法を目指している。日本古来の「改善」は職人言葉「細工は流々仕上げを御覧じろ」に代表される行動様式であり、アイデアを生かすためには、アイデアが浮かべば直ぐに試行錯誤を行うことが必要であり、直ぐに作業に取りかかるためには「整理、整頓、清掃」による整えられた作業環境と常に作業に取りかかれる姿勢が必要である。常に作業に取りかかれる姿勢は「いざ鎌倉」である。「いざ鎌倉」は謡曲「鉢の木」に出てくる言葉で室町時代から戦国時代を経て現代まで伝わっている言葉である。「整理、整頓、清掃」と「改善」は戦国時代から平和な江戸時代に入ると職人の精神となった。そこで、本書は「整理、整頓、清掃」と「いざ鎌倉」の起源を探りつつ、欧米に広がる有体物を作る「KAIZEN」と日本の理想目標を目指す「改善」の違いを述べる。そして、今後のイノベーション推進に向けた「整理、整頓、清掃」と「改善」に沿ったアプローチ方法を考察する。「整理、整頓、清掃」の略称は「3S」であり、「整理、整頓、清掃、清潔、躾」の略称は「5S」である。一般的には「5S」は「3S」を拡張したものと理解されている。しかし本書では日本古来の何時でも行動を起こす準備をしておく姿勢を「改善」と「整理、整頓、清掃」として記述する。一方、欧米の製造業に於ける効率化を目指す姿勢を「KAIZEN」と「5S」と記述する。
Ⅱ.整理、整頓、清掃と武士道そして改善へ
1.武士道と整理、整頓、清掃
筆者の記憶では小学校の教室の正面に「整理、整頓、清掃」と書かれた額があり、先生から「整理、整頓、清掃」とは何時でも勉強が出来る様に環境を整えておくことだとの説明があった。つまり「整理、整頓、清掃」とは自分の作業道具を常に「整理、整頓」しておき、「清掃」によりワークスペースを確保しておき、何時でも勉強が出来るようにしておくとのことであった。何時でも作業に取りかかれる様に準備をしておく「整理、整頓、清掃」の考えは「いざ、鎌倉」の精神に始まる。「整理、整頓、清掃」は夜いつでもアイデアが浮かべば、ただちに作業に取りかかるという精神で、日本の創意・工夫とアイデアを重視する考えの基礎となっている。また、「源義経の鵯越の逆落し」に由来する「夜討ち、朝駆け」もビジネス好機を逃さない精神であり「いざ、鎌倉」と共に日本のビジネス精神の基礎をなしている。「整理、整頓、清掃」の精神は侍が各自の得物を常に手入れと鍛錬を怠らず「いざ」に備える姿勢で、安土桃山時代から戦国時代、江戸を経て、武士から職人の精神に反映されて、現在に至っている。常に「いざ」に備える姿勢が「いざ鎌倉」であり、「いざ鎌倉」は鎌倉時代の謡曲「鉢木」に出てくる言葉である。大正時代の尋常小學國語讀本にも「鉢木」は登場しており2)、明治から大正時代にかけても常に「いざ」に備えることの必要性は語られていたことが解る。いつでも一大事への準備ができていることは近代の「出船の精神」にも受け継がれている。武士は奈良時代の743年(天平15年)に「墾田永年私財法」が制定されたことにより始まった。私有地が認められたことにより、有力な荘園主や貴族は荘園を守るために武装集団が必要となり、荘園を守るための専門武装集団が発生した。そして、「貴人の傍らにさぶらふ人」から、「侍」つまり「武士」ができた3)。平安時代に入り、源氏や平家の武将と武士団が出来た。更に鎌倉時代に至って、武家政権が誕生することとなり、鎌倉幕府は禅宗に傾倒して、武道、礼儀を重んじる「武士道」が確立された。武士道の中心的精神は以下の3点である。まず、いつでも一大事への準備ができていること。次ぎに自分を改善するために鍛錬を欠かさないこと。そしてコンディションをきちんと保つ「摂生」「 節制」「 礼節」を守ることである。そして、「武士道」では常に一大事に備える準備と得物の手入れが求められた。例えば、得物の手入れについては北条重時(1198-1261)が作成した『六波羅殿御家訓』に「腰刀の錆びたる持つべからず、~不断に心用心あるべしとある」4)。得物の手入れと鍛錬を怠らず、一大事に備えることは武士道の中心的精神であった。武士が武道を重んじて、武器の手入れと鍛錬に余念がなかった理由として、武士は戦闘集団であったことと、武士には警備の役目があったことがある。具体的には、貞永元年(1232年)に北条泰時が「御成敗式目」(ごせいばいしきもく)を制定して武家の基本法典が定まり、守護の職務が「大犯三箇条」(だいぼんさんかじょう)として定められたことによる。大犯三箇条では、守護の職務は、まず鎌倉・京都での大番役(おおばんやく:警固のこと)の招集と指揮監督を行うこと、そして謀反人の捜索と逮捕、殺害人の捜索することであった。つまり守護の職務には警備の役割があり、日頃の鍛錬と武器の手入れが必要であった。また、天文年間(1532年から1555年)に吾川郡弘岡城主であった吉良宣経(1514-1550頃)の定目(ていもく)にも武士のたしなみとして武具を整備し、武芸の修練に心がけて軍役に精励することと記載されている4)。そして、守護大名が戦国大名に代わるにつれ、武士道に於ける武勇の必要性が高まって行った。武勇の高まりに合わせて、日頃の得物の手入れと鍛錬を怠らず、常にいざに備える「整理、整頓、清掃」の武士道の姿勢が確立された。
2. 「ものつくり」と「物つくり」に於ける利益の考え方
武士道は自分を高め、精進することが基本であり、「整理、整頓、清掃」は武士道に由来している。時代が平和な江戸時代になり、自分を高め、精進する「整理、整頓、清掃」の精神は職人に広がって行った。職人の利益は各自の技術とアイデアに基づいていた。例えば、一般的な製品の価格は製品に要求される基本機能(図1のG)に顧客からの高度な要求(図1のH)を加えた製品の妥当な仕様(図1のD)に応じて設定される。そこで、製造者はコストダウン手法、例えばLean production system手法等を使用して得た製品コスト(図1のE)と製品の妥当な価格(図1のG)との差を得て利益(図1のH)を確保する。つまり、妥当な製品仕様(図1のD)を維持する範囲で製作時間(図1のJ)が進むに沿ってコストダウンを図ることが「KAIZEN」であり、「KAIZEN」はより安く製品を作る方法を追求する。具体的には「KAIZEN」は作業の単純化と作業の一律化を進め、製作マニュアルを作成して、人件費の安い作業者を使用できるようにしたり、製品をより簡単な作りにしたりして、コストダウンを追求する。一方、古来の職人は顧客の視界にある製品は顧客が価格を決めてしまうので、類似品との価格競争となり、利益が得にくいこと、そして自分の持つ技術を発揮し難いことを知っており、より自分の技術が生かせる創造的な仕事を目指した。例えば、職人言葉にある「簡単な仕事はしない」が職人の利益に対する考え方を物語っている。また「細工は流々、仕上げをご覧じろ」は、作品の製作技術は職人別であり、仕上げで勝負することを示している。職人は製品ではなく、職人は自らの技術とアイデアを用いて、顧客の視界を超えた作品を製作して、顧客の所有欲を満足させることにより高い利益を得ていた(図1のF)。図2にM・ロジャースのイノベータ理論を示す。図2は顧客全体を100%として、客層別の割合を模式的に示している。職人は、図2に示すイノベータを相手にすると利益が得られることを知っていた。画期的な製品、つまりイノベーティブな製品はまず、新しい物好きなイノベータが購入する。イノベータは価格を気にしないので、売り手は自由に価格設定ができ、利益を得る。いわゆる先駆者利益である。そして製品が成熟して一般化すると客層は最終的には図2の4層目にあるレイトマジョリティに変化する。レイトマジョリティは高度な機能には感心がなく、基本機能がありさえすれば、より安いものを購入する。
図1 職人の利益の考え方
図2 エベレト・M・ロジャースのイノベータ理論 (理論に基づき筆者作成)
3.「整理、整頓、清掃」と「改善」の広がり
日本古来の「整理、整頓、清掃」と「改善」は理想目標を目指す。例えば、「整理、整頓、清掃」の「整」は古典に「整は正なり」とあり、ゆがんだ形を真っ直ぐにすることが「整」であり「正」である。更に「整」は真っ直ぐにする、不純物を取り除くという語源から5)、「整理」は乱れたものを整える、または不必要なものを取り除くとの意味である6)。一方、「改」の語源は誤りを改めて正しくすることであり、「改善」は「改良」などと同様にreformやimproveの訳語として明治時代に作られた和製漢語である3)。つまり、「整理、整頓、清掃」や「改善」はよい方向へ改めることであり、終わりのない活動である1)。ただし、「改善」は先に述べた様に明治時代に作られた言葉であるため、武士道では精進などと呼ばれたと思われる。精進は大乗仏教の六波羅蜜修行の4番目の修行であり、悟りを目指す終わりのない活動である3)。一方、海外で使われている「5S」と「KAIZEN」は利益創出のためのコスト最適化手法であり、バリュー(金銭的価値)を高めることを求めており、明確に目標利益の創出を目指す活動である。筆者は図3に示すチェコの計測機械メーカの工場を見学する機会があり、工場長の話から海外では「改善」はコスト最適化手法として知られていることが理解できた。また、チェコのプラハ経済大学(Prague University of Economics and Business)にて5Sゲームという講義を見学した(図4参照)。講義では「改善」と「無駄」どちらも生産性向上の手法として説明されており、目標は明確であった。具体的には5Sゲームではレゴの飛行機模型を教材にして、数人でチームを組み効果的な組み立て方法を考え、どのチームがある制限時間内に多く組み立てるかを競う講義であった。
図3 チェコのビンペルクにあるローデ・シュワルツの工場(筆者撮影)
図45Sゲーム講義の様子 その1(筆者撮影)   5Sゲーム講義の様子 その2(筆者撮影)
海外では「5S」も広く知られており、「5S」の最後の2つの「S」は「躾」と「清潔」である。筆者がHACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)に係わる食品関係の業務に従事している時には、「躾」とは作業着、エプロン、マスク、帽子を付けてほこりを落としてから食品工場に入ることであり、白線を踏まないなどの職場のルールを守る習慣を身に付けることが「躾」であった。そして、食品工場の「清潔」とは手を石けんで洗い、更にアルコールで消毒を行う、いわゆる化学的な清掃であった。「清潔」を改善活動の本で調べると「5S」を維持することとある。また、「清掃」と「清潔」の英語訳は同じ「Cleaning」であり区別がない。日本の「整理、整頓、清掃」はいつでも作業に取りかかるための心構えであるのに対して、海外で広がる「5S」は製造現場のルールとなっている。心構えは個人の行動指針であるのに対して、ルールは業務の規則である。例えば、チェコのある工場で「5S」を実践するとのことで、始業前に出社して作業準備するよう要請した所、作業準備は業務の一部であり、対価が支払らわれない作業はできないと作業者に断られたそうである。理想を求める「改善」と「整理、整頓、清掃」の自主的心構えは、明確な額の利益を追求する「KAIZEN」と対価が必要な「5S」とは全く別である。
4.整理、整頓、清掃」といざ鎌倉
「整理、整頓、清掃」とはいつでもアイデアが浮かべば、ただちに作業に取りかかる心構えであり、「いざ鎌倉」の精神に由来する。「いざ鎌倉」は室町時代に成立した謡曲「鉢木」に出てくる言葉で、鎌倉に何かあればすぐに鎌倉に駆け付けるというものである。当時、すべての武士が鎌倉に住んでいたわけではないため、常に鎌倉での争いへの準備が必要であったことが「いざ鎌倉」であった。ただ、鎌倉に駆けつけるのは恩賞、つまり利益を得るためであり、「いざ鎌倉」は利益のためであった。謡曲「鉢木」の主人公の佐野源左衛門常世が、宿を貸した旅僧(諸国行脚中の執権北条時頼(最明寺入道))に対して語った言葉に「今にても鎌倉に一大事あらば、千切れたりとも具足を着け、錆びたりとも長刀を持ち、痩せたりとも馬に乗り、一番に馳せ参じ、合戦始らば一番に敵と討合ひて死なん覚悟なれど」がある。この有名な言葉は当時の御家人は、鎌倉で何か騒動が起こったときには、すぐに鎌倉にはせ参じる体勢であったことを現している6)7)8)。「いざ鎌倉」の言葉が登場する「鉢木」は室町時代の観阿弥(1334~1384)作又は世阿弥の作と言われており、2度の元寇の後の作品である。元軍侵攻の頃、武士は一大事に備えて、得物の手入れと鍛錬に余念の無い状況であった。当時、鎌倉幕府は刀鍛冶を鎌倉に集める等、日本刀の製造を支援した。そして、太刀と槍は2度の元寇の後、めざましい性能向上があり、名刀「正宗」が登場するのもこの時代である。
5.「鉢木」成立の時代背景
「鉢木」からわかるのは、まず鎌倉では騒動が頻発したことと、次ぎに鎌倉に一大事ありと聞けば、諸国の御家人は先を争って馳せ参じ、幕府の着到状(出席簿)に姓名を記録して恩賞を期待していたことである。このようなことは鎌倉時代特有のことで、他の時代にはあまりみられないため、一大事に備える言葉として、「いざ鎌倉」という言葉は現在まで残ったとも考えられる。一大事ありと聞いて、御家人たちが鎌倉に駆けつけたという記述は、鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』4)に散見される。例えば吾妻鏡の元久2年(1205)にある「畠山重忠、討たれるの」項には「軍勢が由比ヶ浜の辺りを先を争って走った」とあり、先駆けの様子が表現されている。しかし、争いが最も多いのは、源頼朝の時代ではなく、鎌倉中期の北条時頼(1227-1263)の時代であった。北条時頼は摂家将軍を追放した上、三浦氏を滅ぼし、北条氏専制政治への道を開いた。「時頼」の時代は、いつ何が起こるかわからない不安定な社会状況であった。謡曲「鉢の木」には北条時頼が登場することから「いざ鎌倉」は、当時の不安定な史実を反映している。「鎌倉幕府の歴史を記載した「吾妻鏡」には、源頼朝が挙兵した治承4年(1180)から六代将軍宗尊親王が鎌倉から京都に送還された文永3年(1266)までの歴史を記載している。一方、「鉢木」は観阿弥(1334~1384)の作と言われており、「鉢の木」は「吾妻鏡」の後の作であるため、鎌倉武士の精神の全体像を反映していると言える。また、北条幕府に起きた2度に渡る元寇の役も、常に戦闘に備える精神である「いざ鎌倉」が維持された理由と考えられる。2度に渡る元寇とは文永の役(1274)と弘安の役(1281)であり、当時、北条時宗(1251-1284)は2度の元の軍を退けた。元寇の役に於ける勝利は北条武士の大きな働きと神風によるものとされている4) 。福岡市の東公園には元寇を退けたとされる日蓮聖人の像(図5参照)があり、日蓮聖人の神風は現在まで語り継がれている。日蓮聖人は「立正安国論(1260)」を北条時頼(1227-1263)に宛てに送り、外的の襲来を警告したとされており、「立正安国論」も当時が不安定な情勢であったことを示している。2度の元寇は日本の武士の装備にも変化をもたらした。元軍の鎧は真綿を何層も重ねた構造であり、当時の軟鉄で作られた武士の太刀では切ることが出来なかった。そこで、鎌倉幕府は各地から刀匠を集めて太刀作りを奨励した。そして刀匠、五郎入道正宗がついに日本刀の製造方法を完成させた。日本刀の製造方法は軟鉄の鉄に鋼鉄を巻いて、鍛えた後、焼き入れをする工程を繰り返す方法であり、良く切れるが、折れない日本刀が完成した。名刀正宗の完成である(元寇記念館資料より)。鎌倉幕府後の武士にも一大事に備える心意気があったことは土佐の「一領具足」にも見られる。「一領具足」は半農の武士であり、長宗我部元親(1539-1599)が安芸国虎攻めにあたり、兵力増強のために思いついた武士の身分である。「一領具足」は耕作時に槍の柄に草鞋(わらじ)と兵糧をくくりつけて田の畦(あぜ)に立てておき、有事の時には武装して直ぐさま、駆け付けるという生活であり、土佐物語には「一領具足と申すは、僅かの田地を領して、常には守護へ動仕(きんし)もなく役もなく、己が領地に引き籠り、自らたがやし、くさぎり、諸士の交はりもせされば、礼儀もなく作法もなく、明け暮れ武勇のみを事として、田に出づるにも、鎗の柄に草桂・兵糧を括り付け、田の畔に立て置き、すはと言へば鎌鍬を投げ捨て走り行く。鎧一領にて着替への領もなく、馬一疋にて乗り替へもなく、自身走り廻りければ一領具足と名付けたり。弓・鉄胞・太刀打ちに調練して、死生知らずの野武士なり」とある9)。「一領具足」は有事の際には戦場に馳せ向い、弓、鉄砲、大刀打に鍛錬をして、勇猛かつ命知らずの野武士であった。「いざ鎌倉」の「いざ」と「一領具足」の「すは」は一大事に備える鎌倉幕府から戦国時代の武士の共通の心意気であった。
6.鎌倉幕府の「いざ鎌倉」はどこに
鎌倉幕府に始まる武家政治は、源頼朝が1192年(建久3年)に朝廷から「征夷大将軍」に任命され、鎌倉幕府を開いたことから始まる(*所説あり)。源頼朝は治承4年(1180年)、伊豆で反平氏の軍を挙げた頼朝を討つため京からやってきた平家軍を富士川の戦いで破った。そして源頼朝は図6にある鎌倉の大蔵(雪ノ下)の屋敷に入り、鎌倉が武家政権の政治の中心地となった。更に源頼朝は図7に示す元八幡を現在の鶴岡八幡宮の地に移して町づくりの中心とした。最初の幕府は大倉幕府(1180-1225)であり、次に幕府は宇都宮辻子幕府(1225-1236)となり、更に幕府は若宮大路幕府(1236-1333)へと変わった。また頼朝は図8の永福寺(ようふくじ)を建立して、合戦で亡くなった将兵の鎮魂のために建立した。鎌倉幕府では禅宗が奨励され、「武士道」の精進の精神が成立した。そして、「武士道」は「鉢木」に描かれている様に常に得物を手入れと鍛錬を怠らず、一大事に備えることが基本姿勢となった。  
図6幕府跡(左から大倉幕府、宇都宮辻子幕府、若宮大路幕府)(筆者撮影)
図7元八幡 (筆者撮影)         図8永福寺跡 (筆者撮影)
7.職人気質
「整理、整頓、清掃」はアイデアが浮かんだ時に直ぐに作業に取りかかる精神であり、「改善」と共に、唯一の作品を求める日本古来の職人の精神である。一方、イノベーティブな商品も顧客の視界にない、唯一の製品である。21世紀最大のイノベーティブな製品の一つにスマートフォンがある。現在のスマートフォンの原型は2007年にスティーブ・ジョブズ氏が発表したiPhoneである。iPhoneはタッチパネルとグラフィカルインターフェースを備えていた。初期のスマートフォンは図9に示す様に下や横に小さなキーボードを備えた物で、使い勝手は良くなかった。また当時の多くの携帯電話は折りたたみ型の電話であり、iPhoneは多くのユーザにとって見たことのない電話であった。しかし、iPhoneのグラフィカルインターフェースは1984年にAppleが発表したマッキントッシュで採用されており、更にマッキントッシュはパーソナルコンピュータでは初めて、ポインティングデバイスとしてマウスを採用していた。そして、スティーブ・ジョブズ氏はグラフィカルインターフェース技術を電話に転用することによりiPhoneを完成させた。iPhone発表時にスティーブ・ジョブズ氏は「電話を再発明した」と語った様に当時の電話のイメージは一変してスマートフォンとなった。イノベーティブな製品とはiPhoneの様に各自の固有技術と他の何かを組み合わせることにより生まれる。従ってイノベーティブな製品開発には各自の固有技術を基礎にして、理想目標を実現することが求められる。例えば、続江戸職人綺譚10)に登場する江戸時代の職人の道具自慢話では、「腕のいい大工が道具に凝って稼ぎのほとんどを道具につぎこみ年がら年中素寒貧で・・」や、「荒仕工鉋(かんな)・・こちとら大工の肝玉をふるい立たせてくれなくちゃいけね」にある通り、職人は理想の作品を製作するために、己の技能の修練と技術を発揮するための道具の手入れに余念がなかった。また職人は、「自分の仕事に自分で値段をつけて、それが売れるようになりまして」11)とある通り、稼げる製品には技術とアイデアが必要であり、お客が求めるものだけを作っていたのでは稼げないことを知っていた。つまり、古来の職人はイノベーティブな製品を目指していた。イノベーションやイノベーティブな製品の創造には古来の職人気質と「整理、整頓、清掃」と「いざ鎌倉」の精神が必要である。
図9 キー付スマートフォン (筆者撮影)
8.製品の魅力の変化とイノベーション
ドラッカー氏やシュンペーター氏によるイノベーションの定義では、画期的な製品やサービスの導入により経済に新たな好況局面を創り出すこととある。つまり、イノベーションとは必ずしも製品を生み出すことではなく、販売方法やサービスも含まれる。しかしイノベーティブな製品に限ると、イノベーティブな製品の定義は次の2つである。一つは開発者が価格を設定できること、そして2つめは顧客の視界に無い製品であり、顧客は自分の財布からお金をやりくりしても捻出するほど、魅力ある製品であること。例えば顧客が食費を節約してでも欲しくなるくらい魅力ある製品がイノベーティブな製品である。本カテゴリに入る例は、初期のiPhoneである。しかし、製品は次第に一般化して、差別化することが難しくなる。製品の差別化が難しくなると価格競争になり、利益を得づらくなっていく。つまり製品の一般化(コモディティ化)が進む。一方、製品の成熟度が進むに従い、客層も変化する。図2のレイトマジョリティが製品を購入する状況になると、製品の差別化は難しく、価格競争となる。するとメーカは大量生産による薄利多売となり、大規模な生産設備の投資が必要となる。しかし、設備投資の時期を見誤ると経営的な大打撃を受ける。例えば液晶ディスプレイが成熟段階の製品であり、画面が精細度であったり、高品質なスピーカを搭載したりしていても、レイトマジョリティには製品の魅力が届かず、差別化にはならない。最近では、車が成熟段階に入っている。ビジネスとは、物やサービスの流れと対価がループを形成することである。対価は金額で評価されバリューとも呼ばれる。しかし、バリューは物の機能や性能だけで決まるものではなく、感覚的な要素にも左右される。バリューを左右する要因として、例えば、ネームバリューや希少性やコラボレーションがある。製品のバリューには顧客の主観が大きく影響する。筆者が商品に対する価値観の調査から、顧客の主観とは客の評価軸のことで製品が持つ評価軸が多いほど、バリューは高まることが解った11)。例えば、図10に元の製品と野球チーム名を冠したコラボ製品と他社の製品のバリューを示す。野球チーム名を冠したコラボ製品は価格が上がる分、価格の評価は下がる。しかしコラボ製品は満足性や楽しさ・記念度が上がるため、価値の大きさを示すグラフの大きさは元の製品を上回り、結果的に販売増が期待できる。最近の製造業で主流となっているリーン生産方式は無駄を省いてコストダウンを図る。また製造業で採用されているシックスシグマは作業を平準化して、むりとむらのないマニュアル主義による製造を実現して、コストダウンと歩留まりの向上を図る。リーン生産方式では仕様に対するオーバースペックも無駄となる。しかし、オーバースペックはイノベータに対する製品の魅力の1つであり、イノベーティブな製品に必要なものである。仕様第一主義、コスト第一主義ではイノベーティブな製品は生まれない。理由は仕様第一主義、コスト第一主義では顧客の主観に響かないからである。顧客の主観を刺激するイノベーティブな製品は理想目標を掲げることによりイメージが浮かぶ、そして、アイデアが浮かんだ時に直ぐに試作に取りかかるためには「整理、整頓、清掃」が必要である。イノベーティブな製品を生みだす姿勢を表現したものが日本の「整理、整頓、清掃」と「改善」である。
図10 製品の評価軸と評価の様子 (筆者作成)
謝辞
本書の作成あたり、助言と貴重な情報を頂いた鎌倉市鎌倉歴史文化交流館殿とオーテピア高知図書館の横山 有弐氏に感謝申し上げる。
引用文献
1) 岩波国語辞典、岩波書店、2019
2)尋常小學國語讀本1918(大正7年)卷1,文部省、国立国会図書館デジタルコレクション
3) 小松寿雄,新明解語源辞典,三省堂,2011
4) 西田友広,吾妻鏡,角川文庫,2021
5) 加納喜光,漢字語源語義辞典,1940
6) 平泉澄,明治の源流,時事通信社、国立国会図書館 デジタルコレクション,1970
7) 鉢木,国立国会図書館デジタルコレクション
8) 森延哉,駒とめて袖うちはらう-謡曲「鉢木」考,(株)文芸社,2010
9) 山本大(やまもと たけし),長宗我部元親 その謎と生涯,新人物往来社,2010
10) 佐江衆,続江戸職人綺譚,新潮文庫,2003
11) 永六輔,職人,岩波書店,1996
12) 持田信治,心理的価値評価によるパッケージデザイン,第67回 日本経営システム学会 全国研究発表大会予稿集,pp148-149,2021
海外工場での5S実践と対価の認識
ヒット: 1 開く 保存
状況
チェコの工場で「5S」を実践する際、始業前の作業準備を要請した。
関連ルール: N-1: 工場
行動
作業者に対し、始業前の準備を求めた。
結果
「作業準備は業務の一部であり、対価が支払われない作業はできない」と断られ、自主的な心構えとしての日本の「整理・整頓・清掃」との違いを痛感した。
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詳細コンテキスト
【分析:状況】
チェコの工場で「5S」を実践する際、始業前の作業準備を要請した。
【分析:行動】
作業者に対し、始業前の準備を求めた。
【分析:結果】
「作業準備は業務の一部であり、対価が支払われない作業はできない」と断られ、自主的な心構えとしての日本の「整理・整頓・清掃」との違いを痛感した。
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【本文】
整理、整頓、清掃と改善の起源といざ鎌倉
The origins of the Sort, Tidy, Cleaning, Kaizen and Kamakura
持田 信治*
Shinji Mochida
「整理、整頓、清掃」は「改善」と共に日本の製造業の基本姿勢である。しかし、最近の製造業の「5S」と「改善」は単なるコストダウンの手法として理解されている。そこで、本書は「整理、整頓、清掃、改善」の起源が「いざ鎌倉と職人気質」にあることを述べた後、古来の「整理、整頓、清掃、改善」と近年の「5Sと改善」とを比較する。そして、「いざ鎌倉と職人気質」から今後のイノベーション推進のヒントを得たので報告する。
キーワード:5S、改善、リーン生産システム、イノベーション
Ⅰ.はじめに
概要
 筆者は2016年の夏にチェコのビンペルクにある精密機械製造工場を見学する機会があり、見学の最後に工場長から「リーン生産方式と改善は同じか」との質問を受けた。筆者は当時、「リーン生産方式」と「改善」は別ものであると理解しており、答えに窮した。「リーン生産方法」は代表的な生産方法の一つで、仕様を満たす範囲でコストダウンを計り利益を得る生産方法である。製造方法には漢字の「物つくり」とひらがなの「ものつくり」があり、漢字の「物つくり」は仕様が決まった「有体物」を作る方法であり、仕様を満たす範囲で安く作ることが求められる。欧米での生産方法の基本的な考え方は「リーン生産方法」に代表される「物つくり」である。「リーン生産方法」は仕様を満たす範囲で安く作る仕様第一主義である。欧米では「リーン生産方法」と「KAIZEN」は同じであり、「KAIZEN」はコストダウンの手法として理解されている。一方、ひらがなの「ものつくり」は辞書には「物」以外のものを作ることとある1)。「ものつくり」は仕様が決まっていない理想製品を作る、挑戦的な「ものつくり」である。「ものつくり」は理想製品作りを目指す終わりのない挑戦的な創作活動であり、最高の「改善」とアイデアが必要である。従って、日本古来の「改善」や「ものつくり」は、仕様第一主義の欧米の「物つくり」とは対局に位置する。「物つくり」は安い部品で、なるべく簡単に組み立てられる安い製造方法を目指している。日本古来の「改善」は職人言葉「細工は流々仕上げを御覧じろ」に代表される行動様式であり、アイデアを生かすためには、アイデアが浮かべば直ぐに試行錯誤を行うことが必要であり、直ぐに作業に取りかかるためには「整理、整頓、清掃」による整えられた作業環境と常に作業に取りかかれる姿勢が必要である。常に作業に取りかかれる姿勢は「いざ鎌倉」である。「いざ鎌倉」は謡曲「鉢の木」に出てくる言葉で室町時代から戦国時代を経て現代まで伝わっている言葉である。「整理、整頓、清掃」と「改善」は戦国時代から平和な江戸時代に入ると職人の精神となった。そこで、本書は「整理、整頓、清掃」と「いざ鎌倉」の起源を探りつつ、欧米に広がる有体物を作る「KAIZEN」と日本の理想目標を目指す「改善」の違いを述べる。そして、今後のイノベーション推進に向けた「整理、整頓、清掃」と「改善」に沿ったアプローチ方法を考察する。「整理、整頓、清掃」の略称は「3S」であり、「整理、整頓、清掃、清潔、躾」の略称は「5S」である。一般的には「5S」は「3S」を拡張したものと理解されている。しかし本書では日本古来の何時でも行動を起こす準備をしておく姿勢を「改善」と「整理、整頓、清掃」として記述する。一方、欧米の製造業に於ける効率化を目指す姿勢を「KAIZEN」と「5S」と記述する。
Ⅱ.整理、整頓、清掃と武士道そして改善へ
1.武士道と整理、整頓、清掃
筆者の記憶では小学校の教室の正面に「整理、整頓、清掃」と書かれた額があり、先生から「整理、整頓、清掃」とは何時でも勉強が出来る様に環境を整えておくことだとの説明があった。つまり「整理、整頓、清掃」とは自分の作業道具を常に「整理、整頓」しておき、「清掃」によりワークスペースを確保しておき、何時でも勉強が出来るようにしておくとのことであった。何時でも作業に取りかかれる様に準備をしておく「整理、整頓、清掃」の考えは「いざ、鎌倉」の精神に始まる。「整理、整頓、清掃」は夜いつでもアイデアが浮かべば、ただちに作業に取りかかるという精神で、日本の創意・工夫とアイデアを重視する考えの基礎となっている。また、「源義経の鵯越の逆落し」に由来する「夜討ち、朝駆け」もビジネス好機を逃さない精神であり「いざ、鎌倉」と共に日本のビジネス精神の基礎をなしている。「整理、整頓、清掃」の精神は侍が各自の得物を常に手入れと鍛錬を怠らず「いざ」に備える姿勢で、安土桃山時代から戦国時代、江戸を経て、武士から職人の精神に反映されて、現在に至っている。常に「いざ」に備える姿勢が「いざ鎌倉」であり、「いざ鎌倉」は鎌倉時代の謡曲「鉢木」に出てくる言葉である。大正時代の尋常小學國語讀本にも「鉢木」は登場しており2)、明治から大正時代にかけても常に「いざ」に備えることの必要性は語られていたことが解る。いつでも一大事への準備ができていることは近代の「出船の精神」にも受け継がれている。武士は奈良時代の743年(天平15年)に「墾田永年私財法」が制定されたことにより始まった。私有地が認められたことにより、有力な荘園主や貴族は荘園を守るために武装集団が必要となり、荘園を守るための専門武装集団が発生した。そして、「貴人の傍らにさぶらふ人」から、「侍」つまり「武士」ができた3)。平安時代に入り、源氏や平家の武将と武士団が出来た。更に鎌倉時代に至って、武家政権が誕生することとなり、鎌倉幕府は禅宗に傾倒して、武道、礼儀を重んじる「武士道」が確立された。武士道の中心的精神は以下の3点である。まず、いつでも一大事への準備ができていること。次ぎに自分を改善するために鍛錬を欠かさないこと。そしてコンディションをきちんと保つ「摂生」「 節制」「 礼節」を守ることである。そして、「武士道」では常に一大事に備える準備と得物の手入れが求められた。例えば、得物の手入れについては北条重時(1198-1261)が作成した『六波羅殿御家訓』に「腰刀の錆びたる持つべからず、~不断に心用心あるべしとある」4)。得物の手入れと鍛錬を怠らず、一大事に備えることは武士道の中心的精神であった。武士が武道を重んじて、武器の手入れと鍛錬に余念がなかった理由として、武士は戦闘集団であったことと、武士には警備の役目があったことがある。具体的には、貞永元年(1232年)に北条泰時が「御成敗式目」(ごせいばいしきもく)を制定して武家の基本法典が定まり、守護の職務が「大犯三箇条」(だいぼんさんかじょう)として定められたことによる。大犯三箇条では、守護の職務は、まず鎌倉・京都での大番役(おおばんやく:警固のこと)の招集と指揮監督を行うこと、そして謀反人の捜索と逮捕、殺害人の捜索することであった。つまり守護の職務には警備の役割があり、日頃の鍛錬と武器の手入れが必要であった。また、天文年間(1532年から1555年)に吾川郡弘岡城主であった吉良宣経(1514-1550頃)の定目(ていもく)にも武士のたしなみとして武具を整備し、武芸の修練に心がけて軍役に精励することと記載されている4)。そして、守護大名が戦国大名に代わるにつれ、武士道に於ける武勇の必要性が高まって行った。武勇の高まりに合わせて、日頃の得物の手入れと鍛錬を怠らず、常にいざに備える「整理、整頓、清掃」の武士道の姿勢が確立された。
2. 「ものつくり」と「物つくり」に於ける利益の考え方
武士道は自分を高め、精進することが基本であり、「整理、整頓、清掃」は武士道に由来している。時代が平和な江戸時代になり、自分を高め、精進する「整理、整頓、清掃」の精神は職人に広がって行った。職人の利益は各自の技術とアイデアに基づいていた。例えば、一般的な製品の価格は製品に要求される基本機能(図1のG)に顧客からの高度な要求(図1のH)を加えた製品の妥当な仕様(図1のD)に応じて設定される。そこで、製造者はコストダウン手法、例えばLean production system手法等を使用して得た製品コスト(図1のE)と製品の妥当な価格(図1のG)との差を得て利益(図1のH)を確保する。つまり、妥当な製品仕様(図1のD)を維持する範囲で製作時間(図1のJ)が進むに沿ってコストダウンを図ることが「KAIZEN」であり、「KAIZEN」はより安く製品を作る方法を追求する。具体的には「KAIZEN」は作業の単純化と作業の一律化を進め、製作マニュアルを作成して、人件費の安い作業者を使用できるようにしたり、製品をより簡単な作りにしたりして、コストダウンを追求する。一方、古来の職人は顧客の視界にある製品は顧客が価格を決めてしまうので、類似品との価格競争となり、利益が得にくいこと、そして自分の持つ技術を発揮し難いことを知っており、より自分の技術が生かせる創造的な仕事を目指した。例えば、職人言葉にある「簡単な仕事はしない」が職人の利益に対する考え方を物語っている。また「細工は流々、仕上げをご覧じろ」は、作品の製作技術は職人別であり、仕上げで勝負することを示している。職人は製品ではなく、職人は自らの技術とアイデアを用いて、顧客の視界を超えた作品を製作して、顧客の所有欲を満足させることにより高い利益を得ていた(図1のF)。図2にM・ロジャースのイノベータ理論を示す。図2は顧客全体を100%として、客層別の割合を模式的に示している。職人は、図2に示すイノベータを相手にすると利益が得られることを知っていた。画期的な製品、つまりイノベーティブな製品はまず、新しい物好きなイノベータが購入する。イノベータは価格を気にしないので、売り手は自由に価格設定ができ、利益を得る。いわゆる先駆者利益である。そして製品が成熟して一般化すると客層は最終的には図2の4層目にあるレイトマジョリティに変化する。レイトマジョリティは高度な機能には感心がなく、基本機能がありさえすれば、より安いものを購入する。
図1 職人の利益の考え方
図2 エベレト・M・ロジャースのイノベータ理論 (理論に基づき筆者作成)
3.「整理、整頓、清掃」と「改善」の広がり
日本古来の「整理、整頓、清掃」と「改善」は理想目標を目指す。例えば、「整理、整頓、清掃」の「整」は古典に「整は正なり」とあり、ゆがんだ形を真っ直ぐにすることが「整」であり「正」である。更に「整」は真っ直ぐにする、不純物を取り除くという語源から5)、「整理」は乱れたものを整える、または不必要なものを取り除くとの意味である6)。一方、「改」の語源は誤りを改めて正しくすることであり、「改善」は「改良」などと同様にreformやimproveの訳語として明治時代に作られた和製漢語である3)。つまり、「整理、整頓、清掃」や「改善」はよい方向へ改めることであり、終わりのない活動である1)。ただし、「改善」は先に述べた様に明治時代に作られた言葉であるため、武士道では精進などと呼ばれたと思われる。精進は大乗仏教の六波羅蜜修行の4番目の修行であり、悟りを目指す終わりのない活動である3)。一方、海外で使われている「5S」と「KAIZEN」は利益創出のためのコスト最適化手法であり、バリュー(金銭的価値)を高めることを求めており、明確に目標利益の創出を目指す活動である。筆者は図3に示すチェコの計測機械メーカの工場を見学する機会があり、工場長の話から海外では「改善」はコスト最適化手法として知られていることが理解できた。また、チェコのプラハ経済大学(Prague University of Economics and Business)にて5Sゲームという講義を見学した(図4参照)。講義では「改善」と「無駄」どちらも生産性向上の手法として説明されており、目標は明確であった。具体的には5Sゲームではレゴの飛行機模型を教材にして、数人でチームを組み効果的な組み立て方法を考え、どのチームがある制限時間内に多く組み立てるかを競う講義であった。
図3 チェコのビンペルクにあるローデ・シュワルツの工場(筆者撮影)
図45Sゲーム講義の様子 その1(筆者撮影)   5Sゲーム講義の様子 その2(筆者撮影)
海外では「5S」も広く知られており、「5S」の最後の2つの「S」は「躾」と「清潔」である。筆者がHACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)に係わる食品関係の業務に従事している時には、「躾」とは作業着、エプロン、マスク、帽子を付けてほこりを落としてから食品工場に入ることであり、白線を踏まないなどの職場のルールを守る習慣を身に付けることが「躾」であった。そして、食品工場の「清潔」とは手を石けんで洗い、更にアルコールで消毒を行う、いわゆる化学的な清掃であった。「清潔」を改善活動の本で調べると「5S」を維持することとある。また、「清掃」と「清潔」の英語訳は同じ「Cleaning」であり区別がない。日本の「整理、整頓、清掃」はいつでも作業に取りかかるための心構えであるのに対して、海外で広がる「5S」は製造現場のルールとなっている。心構えは個人の行動指針であるのに対して、ルールは業務の規則である。例えば、チェコのある工場で「5S」を実践するとのことで、始業前に出社して作業準備するよう要請した所、作業準備は業務の一部であり、対価が支払らわれない作業はできないと作業者に断られたそうである。理想を求める「改善」と「整理、整頓、清掃」の自主的心構えは、明確な額の利益を追求する「KAIZEN」と対価が必要な「5S」とは全く別である。
4.整理、整頓、清掃」といざ鎌倉
「整理、整頓、清掃」とはいつでもアイデアが浮かべば、ただちに作業に取りかかる心構えであり、「いざ鎌倉」の精神に由来する。「いざ鎌倉」は室町時代に成立した謡曲「鉢木」に出てくる言葉で、鎌倉に何かあればすぐに鎌倉に駆け付けるというものである。当時、すべての武士が鎌倉に住んでいたわけではないため、常に鎌倉での争いへの準備が必要であったことが「いざ鎌倉」であった。ただ、鎌倉に駆けつけるのは恩賞、つまり利益を得るためであり、「いざ鎌倉」は利益のためであった。謡曲「鉢木」の主人公の佐野源左衛門常世が、宿を貸した旅僧(諸国行脚中の執権北条時頼(最明寺入道))に対して語った言葉に「今にても鎌倉に一大事あらば、千切れたりとも具足を着け、錆びたりとも長刀を持ち、痩せたりとも馬に乗り、一番に馳せ参じ、合戦始らば一番に敵と討合ひて死なん覚悟なれど」がある。この有名な言葉は当時の御家人は、鎌倉で何か騒動が起こったときには、すぐに鎌倉にはせ参じる体勢であったことを現している6)7)8)。「いざ鎌倉」の言葉が登場する「鉢木」は室町時代の観阿弥(1334~1384)作又は世阿弥の作と言われており、2度の元寇の後の作品である。元軍侵攻の頃、武士は一大事に備えて、得物の手入れと鍛錬に余念の無い状況であった。当時、鎌倉幕府は刀鍛冶を鎌倉に集める等、日本刀の製造を支援した。そして、太刀と槍は2度の元寇の後、めざましい性能向上があり、名刀「正宗」が登場するのもこの時代である。
5.「鉢木」成立の時代背景
「鉢木」からわかるのは、まず鎌倉では騒動が頻発したことと、次ぎに鎌倉に一大事ありと聞けば、諸国の御家人は先を争って馳せ参じ、幕府の着到状(出席簿)に姓名を記録して恩賞を期待していたことである。このようなことは鎌倉時代特有のことで、他の時代にはあまりみられないため、一大事に備える言葉として、「いざ鎌倉」という言葉は現在まで残ったとも考えられる。一大事ありと聞いて、御家人たちが鎌倉に駆けつけたという記述は、鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』4)に散見される。例えば吾妻鏡の元久2年(1205)にある「畠山重忠、討たれるの」項には「軍勢が由比ヶ浜の辺りを先を争って走った」とあり、先駆けの様子が表現されている。しかし、争いが最も多いのは、源頼朝の時代ではなく、鎌倉中期の北条時頼(1227-1263)の時代であった。北条時頼は摂家将軍を追放した上、三浦氏を滅ぼし、北条氏専制政治への道を開いた。「時頼」の時代は、いつ何が起こるかわからない不安定な社会状況であった。謡曲「鉢の木」には北条時頼が登場することから「いざ鎌倉」は、当時の不安定な史実を反映している。「鎌倉幕府の歴史を記載した「吾妻鏡」には、源頼朝が挙兵した治承4年(1180)から六代将軍宗尊親王が鎌倉から京都に送還された文永3年(1266)までの歴史を記載している。一方、「鉢木」は観阿弥(1334~1384)の作と言われており、「鉢の木」は「吾妻鏡」の後の作であるため、鎌倉武士の精神の全体像を反映していると言える。また、北条幕府に起きた2度に渡る元寇の役も、常に戦闘に備える精神である「いざ鎌倉」が維持された理由と考えられる。2度に渡る元寇とは文永の役(1274)と弘安の役(1281)であり、当時、北条時宗(1251-1284)は2度の元の軍を退けた。元寇の役に於ける勝利は北条武士の大きな働きと神風によるものとされている4) 。福岡市の東公園には元寇を退けたとされる日蓮聖人の像(図5参照)があり、日蓮聖人の神風は現在まで語り継がれている。日蓮聖人は「立正安国論(1260)」を北条時頼(1227-1263)に宛てに送り、外的の襲来を警告したとされており、「立正安国論」も当時が不安定な情勢であったことを示している。2度の元寇は日本の武士の装備にも変化をもたらした。元軍の鎧は真綿を何層も重ねた構造であり、当時の軟鉄で作られた武士の太刀では切ることが出来なかった。そこで、鎌倉幕府は各地から刀匠を集めて太刀作りを奨励した。そして刀匠、五郎入道正宗がついに日本刀の製造方法を完成させた。日本刀の製造方法は軟鉄の鉄に鋼鉄を巻いて、鍛えた後、焼き入れをする工程を繰り返す方法であり、良く切れるが、折れない日本刀が完成した。名刀正宗の完成である(元寇記念館資料より)。鎌倉幕府後の武士にも一大事に備える心意気があったことは土佐の「一領具足」にも見られる。「一領具足」は半農の武士であり、長宗我部元親(1539-1599)が安芸国虎攻めにあたり、兵力増強のために思いついた武士の身分である。「一領具足」は耕作時に槍の柄に草鞋(わらじ)と兵糧をくくりつけて田の畦(あぜ)に立てておき、有事の時には武装して直ぐさま、駆け付けるという生活であり、土佐物語には「一領具足と申すは、僅かの田地を領して、常には守護へ動仕(きんし)もなく役もなく、己が領地に引き籠り、自らたがやし、くさぎり、諸士の交はりもせされば、礼儀もなく作法もなく、明け暮れ武勇のみを事として、田に出づるにも、鎗の柄に草桂・兵糧を括り付け、田の畔に立て置き、すはと言へば鎌鍬を投げ捨て走り行く。鎧一領にて着替への領もなく、馬一疋にて乗り替へもなく、自身走り廻りければ一領具足と名付けたり。弓・鉄胞・太刀打ちに調練して、死生知らずの野武士なり」とある9)。「一領具足」は有事の際には戦場に馳せ向い、弓、鉄砲、大刀打に鍛錬をして、勇猛かつ命知らずの野武士であった。「いざ鎌倉」の「いざ」と「一領具足」の「すは」は一大事に備える鎌倉幕府から戦国時代の武士の共通の心意気であった。
6.鎌倉幕府の「いざ鎌倉」はどこに
鎌倉幕府に始まる武家政治は、源頼朝が1192年(建久3年)に朝廷から「征夷大将軍」に任命され、鎌倉幕府を開いたことから始まる(*所説あり)。源頼朝は治承4年(1180年)、伊豆で反平氏の軍を挙げた頼朝を討つため京からやってきた平家軍を富士川の戦いで破った。そして源頼朝は図6にある鎌倉の大蔵(雪ノ下)の屋敷に入り、鎌倉が武家政権の政治の中心地となった。更に源頼朝は図7に示す元八幡を現在の鶴岡八幡宮の地に移して町づくりの中心とした。最初の幕府は大倉幕府(1180-1225)であり、次に幕府は宇都宮辻子幕府(1225-1236)となり、更に幕府は若宮大路幕府(1236-1333)へと変わった。また頼朝は図8の永福寺(ようふくじ)を建立して、合戦で亡くなった将兵の鎮魂のために建立した。鎌倉幕府では禅宗が奨励され、「武士道」の精進の精神が成立した。そして、「武士道」は「鉢木」に描かれている様に常に得物を手入れと鍛錬を怠らず、一大事に備えることが基本姿勢となった。  
図6幕府跡(左から大倉幕府、宇都宮辻子幕府、若宮大路幕府)(筆者撮影)
図7元八幡 (筆者撮影)         図8永福寺跡 (筆者撮影)
7.職人気質
「整理、整頓、清掃」はアイデアが浮かんだ時に直ぐに作業に取りかかる精神であり、「改善」と共に、唯一の作品を求める日本古来の職人の精神である。一方、イノベーティブな商品も顧客の視界にない、唯一の製品である。21世紀最大のイノベーティブな製品の一つにスマートフォンがある。現在のスマートフォンの原型は2007年にスティーブ・ジョブズ氏が発表したiPhoneである。iPhoneはタッチパネルとグラフィカルインターフェースを備えていた。初期のスマートフォンは図9に示す様に下や横に小さなキーボードを備えた物で、使い勝手は良くなかった。また当時の多くの携帯電話は折りたたみ型の電話であり、iPhoneは多くのユーザにとって見たことのない電話であった。しかし、iPhoneのグラフィカルインターフェースは1984年にAppleが発表したマッキントッシュで採用されており、更にマッキントッシュはパーソナルコンピュータでは初めて、ポインティングデバイスとしてマウスを採用していた。そして、スティーブ・ジョブズ氏はグラフィカルインターフェース技術を電話に転用することによりiPhoneを完成させた。iPhone発表時にスティーブ・ジョブズ氏は「電話を再発明した」と語った様に当時の電話のイメージは一変してスマートフォンとなった。イノベーティブな製品とはiPhoneの様に各自の固有技術と他の何かを組み合わせることにより生まれる。従ってイノベーティブな製品開発には各自の固有技術を基礎にして、理想目標を実現することが求められる。例えば、続江戸職人綺譚10)に登場する江戸時代の職人の道具自慢話では、「腕のいい大工が道具に凝って稼ぎのほとんどを道具につぎこみ年がら年中素寒貧で・・」や、「荒仕工鉋(かんな)・・こちとら大工の肝玉をふるい立たせてくれなくちゃいけね」にある通り、職人は理想の作品を製作するために、己の技能の修練と技術を発揮するための道具の手入れに余念がなかった。また職人は、「自分の仕事に自分で値段をつけて、それが売れるようになりまして」11)とある通り、稼げる製品には技術とアイデアが必要であり、お客が求めるものだけを作っていたのでは稼げないことを知っていた。つまり、古来の職人はイノベーティブな製品を目指していた。イノベーションやイノベーティブな製品の創造には古来の職人気質と「整理、整頓、清掃」と「いざ鎌倉」の精神が必要である。
図9 キー付スマートフォン (筆者撮影)
8.製品の魅力の変化とイノベーション
ドラッカー氏やシュンペーター氏によるイノベーションの定義では、画期的な製品やサービスの導入により経済に新たな好況局面を創り出すこととある。つまり、イノベーションとは必ずしも製品を生み出すことではなく、販売方法やサービスも含まれる。しかしイノベーティブな製品に限ると、イノベーティブな製品の定義は次の2つである。一つは開発者が価格を設定できること、そして2つめは顧客の視界に無い製品であり、顧客は自分の財布からお金をやりくりしても捻出するほど、魅力ある製品であること。例えば顧客が食費を節約してでも欲しくなるくらい魅力ある製品がイノベーティブな製品である。本カテゴリに入る例は、初期のiPhoneである。しかし、製品は次第に一般化して、差別化することが難しくなる。製品の差別化が難しくなると価格競争になり、利益を得づらくなっていく。つまり製品の一般化(コモディティ化)が進む。一方、製品の成熟度が進むに従い、客層も変化する。図2のレイトマジョリティが製品を購入する状況になると、製品の差別化は難しく、価格競争となる。するとメーカは大量生産による薄利多売となり、大規模な生産設備の投資が必要となる。しかし、設備投資の時期を見誤ると経営的な大打撃を受ける。例えば液晶ディスプレイが成熟段階の製品であり、画面が精細度であったり、高品質なスピーカを搭載したりしていても、レイトマジョリティには製品の魅力が届かず、差別化にはならない。最近では、車が成熟段階に入っている。ビジネスとは、物やサービスの流れと対価がループを形成することである。対価は金額で評価されバリューとも呼ばれる。しかし、バリューは物の機能や性能だけで決まるものではなく、感覚的な要素にも左右される。バリューを左右する要因として、例えば、ネームバリューや希少性やコラボレーションがある。製品のバリューには顧客の主観が大きく影響する。筆者が商品に対する価値観の調査から、顧客の主観とは客の評価軸のことで製品が持つ評価軸が多いほど、バリューは高まることが解った11)。例えば、図10に元の製品と野球チーム名を冠したコラボ製品と他社の製品のバリューを示す。野球チーム名を冠したコラボ製品は価格が上がる分、価格の評価は下がる。しかしコラボ製品は満足性や楽しさ・記念度が上がるため、価値の大きさを示すグラフの大きさは元の製品を上回り、結果的に販売増が期待できる。最近の製造業で主流となっているリーン生産方式は無駄を省いてコストダウンを図る。また製造業で採用されているシックスシグマは作業を平準化して、むりとむらのないマニュアル主義による製造を実現して、コストダウンと歩留まりの向上を図る。リーン生産方式では仕様に対するオーバースペックも無駄となる。しかし、オーバースペックはイノベータに対する製品の魅力の1つであり、イノベーティブな製品に必要なものである。仕様第一主義、コスト第一主義ではイノベーティブな製品は生まれない。理由は仕様第一主義、コスト第一主義では顧客の主観に響かないからである。顧客の主観を刺激するイノベーティブな製品は理想目標を掲げることによりイメージが浮かぶ、そして、アイデアが浮かんだ時に直ぐに試作に取りかかるためには「整理、整頓、清掃」が必要である。イノベーティブな製品を生みだす姿勢を表現したものが日本の「整理、整頓、清掃」と「改善」である。
図10 製品の評価軸と評価の様子 (筆者作成)
謝辞
本書の作成あたり、助言と貴重な情報を頂いた鎌倉市鎌倉歴史文化交流館殿とオーテピア高知図書館の横山 有弐氏に感謝申し上げる。
引用文献
1) 岩波国語辞典、岩波書店、2019
2)尋常小學國語讀本1918(大正7年)卷1,文部省、国立国会図書館デジタルコレクション
3) 小松寿雄,新明解語源辞典,三省堂,2011
4) 西田友広,吾妻鏡,角川文庫,2021
5) 加納喜光,漢字語源語義辞典,1940
6) 平泉澄,明治の源流,時事通信社、国立国会図書館 デジタルコレクション,1970
7) 鉢木,国立国会図書館デジタルコレクション
8) 森延哉,駒とめて袖うちはらう-謡曲「鉢木」考,(株)文芸社,2010
9) 山本大(やまもと たけし),長宗我部元親 その謎と生涯,新人物往来社,2010
10) 佐江衆,続江戸職人綺譚,新潮文庫,2003
11) 永六輔,職人,岩波書店,1996
12) 持田信治,心理的価値評価によるパッケージデザイン,第67回 日本経営システム学会 全国研究発表大会予稿集,pp148-149,2021